恋とスフレと娘とわたし [映画:か行]
「恋愛、結婚、子育て—フルコースを終えた私に、極上のデザートが待っていた。」
これは、母娘版『セックス・アンド・ザ・シティ』みたいな映画。
しっかり者でセラピストの長女がミランダ。
セクシーな次女がサマンサ。
夢見がちでおっとりした三女がシャーロット。
せっかちで思い込みが激しい母親がキャリー。
、、、って、ピッタリ☆
4人が話す内容もSATCみたいに“女のホンネ”みたいなコトですが、
そこに母親がいる、、っていうのが、オープンというかなんというか。。
母親が三女の結婚相手を見つける為に奮闘するお話なのですが、
「こんな母親ヤダな、、」と思うほどおせっかいで愛情が空回り。。
でもなんとなく憎めないのもキャリーに似てるかも。
母親が納得するような彼を選ぶべきか、自分の気持ちに正直に生きるべきか悩む娘と
娘を思うあまり、口うるさくなってしまう母親、、
お年頃の女の子なら、「あぁ、、わかる。。」と思える部分が多々あります。
自分と同じ失敗をさせたくなくて娘にアドバイスする事は、
自分の人生を否定すること、、その事に気づいた時に母親の第二の人生が始まります。
これは『恋愛適齢期』の様に、いくつになっても人生は輝ける☆的な
大人の女性への応援映画で、ダイアン・キートンの映画だなぁ、、という印象です。
そして、この映画のキーアイテムはスイーツ♪
L.Aセレブ御用達の“Cake Divas”がスイーツを担当してるのですが、、、、
さすがアメリカ!という感じのまったく美味しくなさそうなケーキたち。。
何を入れたら、あんな色のクリームができるんだろうか??
主人公がパティシェというのも、全然意味なかったような。。
唯一、ダイアンが着こなしていたトッカやジョヴァニのドレスがステキだった♪
あのお年で、あのファッションを着こなせるのはホント憧れます。
、、、って、やっぱりコレはダイアンの為の映画、、、ですネ☆
クィーン [映画:か行]
「世界中が泣いたその日、たった一人涙を見せなかった人がいた」
1997年8月31日、ダイアナ元妃の突然の死。
10年前のあの日。イギリス王室で何があったのか?
エリザベス女王を中心に描かれる、国葬までの1週間のお話。
10年前となると、記憶もあやふやですが、
映画では、実際のニュース映像がふんだんに使われていて、
「あぁ、、そういえばそうだった」と記憶が蘇ってきます。
ダイアナは世界中で人気のある人。そう記憶していたけれど、
あの献花の量にはあらためて驚きました。
悲しむ人々、連日飛び交うニュース、、、
ダイアナがどれほどの人だったかを再認識させられます。
対するエリザベス女王は、あまり映像で観る機会がなかった。
ただマスコミの影響か「コワイ姑」なイメージ。
この映画は、そんな女王のイメージを払拭するものでした。
若くして女王になり、自分の人生を国民に捧げた女性、、
公人としての立場と、個人としての感情の狭間でゆれる姿が痛々しくもあり、
国民の反感を受けつつもなお、凛とした女王の立場を守る姿は美しくもありました。
そりゃ、人間だものね、、批判されれば悲しいし、
人が亡くなれば心穏やかではいられない、、、
そんな、普通の人としての女王の姿がヘレン・ミレンの演技で表現されています。
とても人間らしくて、親しみやすい女王を描いた映画だけに、見終わった直後
「これは、英国王室 好感度UPキャンペーンか??」と
ちょっとうがった見方をしたくもなりますが、そうだったとしても、それも良し☆
一方向からの報道が多かった事件だけに、
違う角度からの見たこの映画ははとてもおもしろかったです。
そして、この映画には、当時、就任したてのブレア首相が
国民と女王を繋ぐパイプ役として登場しています。かなりの熱血ぶり。
そんな若き新大統領としてもてはやされた彼も、退任を表明したとのニュース。
この映画を観た後だけに、しみじみとニュースに見入ってしまいました。
エリザベス女王もさることながら、
この10年のブレア氏のことについても考えてしまいます。。
なんだかナイスタイミングな映画でした。
クラッシュ [映画:か行]
「それはあなたも流したことのある、あたたかい涙。」
昨年観た映画ですが、なんだか感想が書けずにいた作品。
いけないコトとは分かっていても、自分にも確実に「差別」や「偏見」はあって、
それの根元はドコ?? と深く考えさせられました。
わたしの差別の根元は「自己防衛本能」のようなものかも。
過去の経験、いろいろな情報から「傷つくキケン」を判断して、
回避するために身構える、、、
何の先入観も持たずに、知らないヒトと接するのは難しい世の中、、、
だから、それが有効に働くこともあるけれど、
度を超したり、間違えれば、それが「偏見」となって、逆にヒトを傷つけることも。。
むずかしい。。
とりあえずは、1つの情報だけを鵜呑みにして判断して
「不当な差別」や「まちがった偏見」だけは、しないようにしたい、、
映画の方は、誰もが被害者であり、加害者でもあり。
それぞれの、事情や理由があったりで、
その根深い問題の数々を見せられながら、
出口のない迷路を歩いているような気分になりました。
ラストに近づくにつれ、その気分は増していくのですが、
わたしはラストシーンで、全てが救われました。
「あぁ、、人間てダメなとこもあるけど、すてたモンぢゃないなぁ、、」と。
いろんな問題があるけれど、それでも前に進むパワーが人にはあるんだな。
そして、きっといつか、この問題も自分たちのチカラで解決していける気がする、、、
人間の奥深さをかいま見る。 人間ってホントすごい☆
カンバセーションズ [映画:か行]
「男はズルいロマンチスト、女は罪なリアリスト」
10年ぶりに再会した昔の彼と彼女の物語。
自分にもありそうな、ドキドキの設定に、リアルな会話。
男と女の本音と立前が炸裂です☆
「あの時のこと覚えてる?」「あの時は、どう思ってたの?」
「そして、今は、、、?」
聴きたいことは山ほどあるのに、お互い腹のさぐり合い。
徐々に、会話が進むにつれて、2人の過去も現在も分かってきます。
今は他人の2人でも、昔付き合ったヒトだから、、な複雑な感情が見え隠れ。
男は、自分より社会的に上の立場の男に嫉妬して、
女は、自分より若い女に嫉妬する。
男は、彼女の肌が乾燥してるのにガッカリして、
女は、彼のお腹がでてるのにガッカリする。
男と女の違いが良くでててオモシロイ☆
キャッチコピーのまま。
男はロマンチストで、女はリアリストなんですね☆
この映画は、デュアル・フレームなる方法で上映されます。
画面を2分割にして、本音と立前だったり、過去と未来だったり、男と女だったりの
2つが同時に観れる手法。
おもしろいのだけど、これ、、、必要だったんだろうか?
基本的に会話劇なので、字幕読むので精一杯☆
2分割を楽しむ余裕がなかった、、、
そもそも、あまり活かされてなかったような気もします。。
普通に1フレームの映画にするか、吹き替えだったらもっと楽しめたかも。
、、、って、わたしが英語で映画みれれば何の問題もないんですケドね、、、
カポーティ [映画:か行]
「何よりも君の死を恐れ、誰よりも君の死を望む」
フィリップ・シーモア・ホフマンが主演でアカデミー賞!?
なビックリニュースに沸いた昨年のアカデミー。
「これは観なければっ!」と思いつつ、なぜか見逃し続けた作品。
カポーティは、「ティファニーで朝食を」などを書いた若くして天才と呼ばれた作家。
わたしは「冷血」しか読んでいないので、普通の小説のすばらしさはわかりませんが、
「冷血」はおもしろかった☆
この作品で、犯罪ノンフィクションという新しいジャンルを築いた、、、
というだけでも、彼の天才性をはかり知ることができます。
映画の方は、この「冷血」ができるまで、、を描いたお話。
カポーティを演じるシーモアは、外見も話し方もカポーティそっくり☆
もぉ、、これは、いつものシーモアではありません。
でも、そっくりなだけでアカデミーなワケではもちろん無く、
カポーティの繊細すぎる内面と作家としての業を
痛々しいほどに表現していました。
小説の「冷血」では、犯罪に至るまでの経緯、特に家族のコトについて
かなりのページを割いています。
被害者家族に対しでも同様で、なぜ、ここでそんなにページを割くのかが
少し疑問だったのですが、映画を観て納得しました。
カポーティは、いままでずっと閉まっていたココロの鍵を、
この小説を書くことで開けてしまったんですね、、、
天才が、その天才性を失う瞬間、、、
彼が、この作品以降、一冊も完成させられなかったコトが理解できます。。
「彼の死を恐れ、彼の死を望む、、」切ないな、、、
彼らが普通に出会えていたらよかったのに。。。
グッドナイト&グッドラック [映画:か行]
「ジョージ・クルーニーが今、愛をこめて正義を問う」
ロス先生は立派になったなぁ。。
「フロム・ダスク〜」でゾンビと戦ってた人とは思えまセン。
ジョージの男気が詰まった映画。
全編モノクロで、大きな盛り上がりもなく、淡々と進むストーリー。
やや、退屈といえば退屈、、
でも、それでも目をそらさずに、最後までみせられる。観なければ。
そう思わせるのは、全体にちりばめられた、熱いキモチを感じるからかも。
決して「こんな歴史がありました。」という映画ではなく、
今の時代に対してのメッセージを、実在の例をとって見せている。
深ーいメッセージが、心にずしん☆とくる、イイ映画。
どーでもいいことだけど、久々にこんなにタバコを吸う場面の出てくる映画を観た。
ここ数年のアメリカ映画では考えられない。。。
コレを説得するだけの、ポリシーとチカラがあるということか、、、すごいな☆
ゲド戦記 スタジオジブリ [映画:か行]
「かつて人と竜はひとつだった」
宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」。
父駿と比べるのもいかがなものか? と思いつつも、
ついつい比べてしまう。。
駿氏の「風の谷のナウシカ」は、壮大なテーマを掲げ、
答えを明確には出さず、見る側に感じさせ、ゆだねているように思う。
でも、「ナウシカ」は、とてもキャラクターがしっかりしてるので、
彼女に感情移入しながら見るウチに、
ナウシカの考え方が自然に自分の中に入ってくる。
どうしてこういう世界になったのか? これからどうしていけばいいのか?
ナウシカをきっかけに、自分自身で考える余韻を残してくれた気がする。
それに対して吾朗氏の「ゲド戦記」は、メッセージが明確。
わかりやすく、ストレートに明日への道を示してくれる。
でも、「ゲド戦記」はキャラクターの描き方が浅く、
どのキャラクターにも感情移入することができなかった。。
だから、せっかくのストレートなメッセージも言葉としては理解できるものの、
深くココロには刺さってこない、、、おしい。。。
いいこと言ってるのに、、、
ん、、、これは「ゲド戦記」とするよりも、
「ゲド戦記」をベースにした物語を新たに作って、
違う題名にしたほうがよかったような気がする。。
確かに4冊分の物語を1話に作り直しているし、
原作にはない「父親殺し」で始まる部分は「おぉ!やるじゃん☆」と思ったけど、
やっぱりこれは小説の「ゲド戦記」とは別物だ、、(当たり前か、、)
小説を読んでいるひとは、ついつい小説をベースに見てしまうし、
読んでない人にとっては、小説のパーツをちょこちょこだされても
「?」な部分が多かったんじゃないの? と思う。。
一番伝えたいコトを、どうやったら一番効果的に伝えることができるのか、、、
作品を作る上で、とても大切なコトなのに、この作品にはそれが欠けていたように思う。
それが一番残念、、、